青森県すし業生活衛生同業組合

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2018.08.03 青森県のすし店はいつからか

明治になると、製氷会社が生まれたり、近海漁業や流通の発達などで生で扱うネタの種類も多くなるが、その一方で握るシャリの大きさは小さくなっていった。

現在のような大きさになったのは戦後からといわれる。

しかし、この握り寿司は1945(昭和20)年ころまで東京周辺が中心で、まだまだ地方までは広がっていなかった。

青森県で寿司店が見られるようになったのは30年代になってからで、東京オリンピック景気の1965(同40)年頃には200店近くを数えるようになった・

この頃になると、今では当たり前だが、全国の寿司店でつけ台の前に椅子が置かれるようになる。椅子に座ったお客さんの目の前に寿司が出されるといったスタイルは画期的なことだったという。

こうして徐々にお客さんが増えていき、高度経済成長時代にはサラリーマンが夜遅くまで飲んで家へ帰る時、家族の機嫌を取るため寿司折りを買って帰る姿がよく見られたものだった。

青森県の寿司業界のピークは1981(同56)年で、店舗数が585店舗となり全盛期を迎える。しかし、その後はファミリーレストランや中央資本の回転寿司、

スーパー、コンビニなどの進出に押され、次第に寿司店舗数は減少し、現在は約250店舗ほどになっている。